モモから学ぶ家事効率化と充実感のパラドックス

こんにちは。Kaziプロジェクトの二戸です。

地震や台風など、心配なことが山積みなお盆ですね・・。

さて、今回は本を読んでいて色々と気付かされたことがあったので、家事と紐づけて書いてみたいと思います。

みなさん「モモ」という小説はご存知でしょうか?

わりと有名な児童文学作品で、登録者数500万人超えの巨大YouTubeチャンネル「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介されていた本なんです。

内容をざっくりかいつまんでお話すると、

ある平和な街に「灰色の男たち=時間どろぼう」が現れて、街に住む大人たちの「時間」を奪ってしまうんです。

 

例えば、

「あなたは毎日〇〇時間、無駄に浪費しているんですよ??そんな無駄な時間を過ごすくらいなら、時間貯蓄銀行に預けたほうがいい。

10年ほど預ければ利子もついて、なんと〇〇時間にも膨れ上がります!

それほど多くの時間があれば、あなたは今より自由で豊かな生活を送れます!」

 

こんな風に、大人たちに「無駄に浪費している時間があるよ!」というのを数値化して見せ、無駄にするくらいだったら時間貯蓄銀行に預けませんか?と言って、大人たちから「時間」を奪っていくわけです。

 

「無駄な時間」を奪われた大人達は、時間を貯めるため、やれ「効率化だ!」とか、やれ「時間倹約だ!」とやっきになり、常にイライラ、カリカリするようになります。

 

そんな中、大人たちの異変に気づいた主人公「モモ」は、奪われた時間を取り戻すために奔走し、時間どろぼうたちに立ち向かいます。

最終的には奪われた時間を取り戻すことに成功し、奪われた時間は大人たちに戻され、いつもどおりの「無駄な時間」を過ごしつつ、笑顔あふれる街に戻るわけです。

だいぶ簡略化しているので、詳しい内容に興味がある方はぜひ読んでみてください。

で、

小説の中では下記のような行為を、

「無駄な時間」として言っています↓

・友人と雑談する時間
・ペットを世話する時間
・大切な人と過ごす時間
・毎日の良かったことを振り返る時間

などなど。

これらの時間を減らせば、もっと豊かになれますよ!と、時間どろぼうたちは言うわけです。

つまり、一見「生産性」が無いような行為を、時間どろぼう達は「無駄な時間」として定義しているわけですね。

 

モモという物語は色々な解釈ができるのですが、

一つの解釈としては、

「無駄な時間こそ、笑顔あふれる生活の源になる」

ということを、伝えたかったんじゃないかなと思います。

 

テクノロジーが発展して、できる限り「無駄なく効率的」にすることが「良いこと」とされているのが現代。

 

それにより、より多くの「時間」が生まれ、生活に余裕が生まれる・・かと思いきや、効率化を進めるとさらなる効率化を求めて仕事が生まれ、結局忙しいのは変わらない・・。

 

ようは、「効率化することに執着」してしまい、際限なく忙しい・・という状況に陥ってしまうわけですね。

 

何も生み出さない、無駄な時間=悪
効率的かつ生産的な時間=善

 

こんな感じの価値観が育まれ、「何もしていない時間」が怖くなってしまう、なんて人は多いんじゃないかなと思います。

 

家事の効率化をすることはもちろん良いことだと思いますし、積極的に外部サービスを活用して家族と過ごす時間を増やすことには大いに僕も賛成です。

 

ただ、効率化を求めるあまり、時間がかかる料理や、手間がかかる遊びを限りなく減らし、「役立つかどうか」とか「意味があるかないか」など、

何事においても「効率性・生産性」を求めてしまうと、機械的な、無味乾燥な生活になってしまう危険性もあるなとも感じます。

 

例えば、効率性という観点で考えたら、BBQなんて手間がかかるだけです。肉、野菜、ソーセージを食べるだけなら、普通に家で焼いて食べればいい。

けど、あえて炭を用意して網の上で焼いたり、みんなで野菜を切って用意したり、テントを張ってワイワイしたい。

効率的じゃないし、生産性も無い行為のはずなのに、僕たちはBBQをやりたがるし、めんどくさいことを「自ら進んで」するわけです。

 

そんな風に考えると、「一見無駄に見える行為」こそ、「充実感」を得られる種があるようにも思えますよね。

 

常に効率を求めて行動することは良いことだけれど、効率を求めれば求めるほど、心が貧しくなっていき、充実感が失われてしまう。

かといって、いまさら現代のテクノロジーを使わず、めんどくさい行為ばかりやったほうが良いのかといえば、当然そんなことは無いわけで、便利なものはガンガン使ったほうが良い場合もある。

 

タイトルにある「パラドックス」とは、「逆説」という意味です。

ようは、2つの手段・方法のうち、どちらを選んだとしても、受け入れがたい反論が生まれてしまうということ。

 

今回の内容は、別になにか解決策を提示するようなものではなく、「こういうことも言えるよね」という、「考える種」を提示したいと思って書いてみました。

 

効率さを求めるのもいいけど、たまには「ダラーっとして、何も生み出さない無駄な時間」を過ごすことも大切なんだなということを、モモを読んで改めて気付かされました。

 

今回の内容をきっかけに、家族で「無駄な〇〇」に取り組み、心の充実感を得ることに繋がれば幸いです。(例えば、子供と一緒にパスタを麺から作ってみるなど)

 

以上となります。最後まで読んでいただきありがとうございました。

この記事を書いた人

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