日本の文豪から学ぶ!森 鴎外の教育論とは?

こんにちは。Kaziプロジェクトの二戸です。

今回は、最近読んでいた書籍の中で興味深い人を見つけたので紹介してみます。

その興味深い人とは、かの有名な文豪「森 鴎外」

何が興味深かったのかといえば、教育熱心な父親だったこと。その様子をうかがえる文章を見つけたので引用してみますね。

下記は、森 鴎外が単身赴任している中、子育てをしている妻に対して宛てた手紙の一部です。

茉莉が次第に物がわかるやうになると見えるね。

 

小いうちは教育なんぞといつても別にむつかしいことはない。大概は自然に任せて置けば好いのだ。

 

おとなが勝手におもちやのやうに扱ふのがまちがひなのだ。賞罰は正しくせねばならぬ。

 

併しどんなにおとなが困ることでも小児がわるぎなしにした事を罰してはならぬ。大概は罰のはうは先づ見合はせにする方がよろしい。

 

これからおひおひうるさくいろいろなことを問ひたがるやうになるだらうが何遍でもくりかへして問へば一々返事をしてやるのが親のつとめだ。

 

それをうるさいなどと言つてしかる親が世間には多いが大まちがひだ。かういふ時に面倒を見て返事をして遣ればどんな好いことをも仕込めるのだ。

 

障子を破りおもちやをすぐにこはすやうな癖はしからずに静にとめてやればやむ。

引用:『妻への手紙 森鴎外

冒頭に出てくる「茉莉(まり)」というのは、森 鴎外の娘のこと。

上記のような昔の文体とはいえ、読めばなんとなくの意味はつかめるかと思います。

僕なりの解釈で現代風に言い直してみると、

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小さい頃の教育は別に難しいことは何もない。大体のことは自然に任せておけばいい。

大人が勝手に子供を子供扱いするのが間違いなんだ。

厳しくするときは厳しくしていい。ただ、どんなに大人が困るようなことをしたとしても、子供が悪気なくやったことに対して無闇に怒鳴ったりしてはいけない。

大体のことはまず様子を見ることが大事だ。

これから大きく成長するにつれて、なぜ?なぜ?と、しつこく質問してくることになるだろうけど、その都度、繰り返し説明してやるのが親の務めだ。

そういった質問をうるさがって叱る親も世間には多いようだけれど、大きな間違いである。

しっかり質問に答えて面倒をみてやれば、どんな言いつけだろうと素直に守ってくれるものだ。

障子をやぶったり、おもちゃを壊すような癖は、怒鳴ったりせずに静かに言ってきかせればいい。

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いかがでしょうか?細かなニュアンスの違いはあるかもしれませんが、大まかな意味は伝わったかと思います。

短く要点をまとめると、

子供を子供扱いせず、一人の人間として向き合い、しっかりと話しを聞くこと。そして、良くない行為に対しては無闇に怒鳴ったりせず、静かに言って聞かせればいい。

という感じでしょうか。

上記のような森 鴎外の教育に対する考えは、現代においても共感できる部分が多いのではないかなと、読んでいて思いました。

個人的には「おとなが勝手におもちやのやうに扱ふのがまちがひなのだ。」の部分が一番響きましたね。

子供を子供扱いせず、一人の人間として、真正面から向き合う。

頭ではわかっていても、「まだ、子供だから仕方ないか・・」といった感情が、自然と湧いてくるのものかな思います。

ただ、そういった無意識に出てしまう雰囲気を子供は敏感に感じ取り、「全然わかってもらえてない!」と、感じてしまうケースも多そうですよね。

ちなみにこういった現象は、親と子供という関係だけじゃなく、上司と部下だったり、先輩と後輩のような関係にも当てはまること。

そういった対応をしないためには、まずは相手に対して「尊敬の念」、つまりリスペクトを抱くことが大事ですよね。簡単じゃないでしょうけど・・。

というわけで、今回は森 鴎外が考える教育論を紹介してみました。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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