「理想の暮らし」よりも「心地よい暮らし」を目指してみる

こんにちは。Kaziプロジェクトの二戸です。めっきり寒くなってきて、体調管理がむずかしいですね。外出の際の服装も悩みのタネです。

今回のテーマは「理想の暮らし」について。雑誌やSNSで流れてくる「きれいで整った暮らし」に触れていると、いいなあと思う反面、もどかしさというか、すこし自分を責めてしまうような感覚になることはないでしょうか。

また、インテリアショップなどで展示されているコーディネートされた部屋って、すごく素敵に感じますよね。もはや展示されている部屋をそのまま持って帰りたい!と、思ってしまいます。そんなときによく口にするのが、「生活感が無いから良い」という言葉です。

生活感が無いからいい?

当たり前ですが、展示されている部屋には”生活感が無い”のです。だから、「いいな」と感じる。逆を言えば、おもいっきり生活感を感じる部屋(例えば、洗濯物が干されていたり、シンクに食器が溜まっていたり…)がそのままお店で展示されていたら、「えっ…」と思ってしまいますよね。

つまり何が言いたいのかといえば、雑誌やSNSで流れてくる「きれいで整った暮らし」だったり、コーディネートされた部屋は、“生活感が無い”からこそ憧れるのであって、つまり、日々のリアルな暮らしからは遠い状態であるということです。

憧れを抱き、それをモチベーションに頑張ろうと思えるときもあります。ただ、忙しい日々を送っている中では、理想の状態を保つことは困難な場合が多く、理想と自分の暮らしとのギャップがストレスになってしまいかねません。

自分にとって「許せる状態」を目指す

ではどうすればよいのかといえば、自分の中で「許せる状態」を自覚しておくこと。

「許せる状態」とは、理想な状態とまではいかないけれど、不快に感じるほどではない状態。「これくらいでいいや」と、自分で許せる範囲を、自分で決めておくことです。

床を指でこすれば確かにすこし汚れがあるかもしれないけれど、目に見えるようなホコリは無いからいっか。とか、洗濯物は畳まずにかけるだけでいいや。とか、今日の晩御飯はレトルトでいいや。とか、段ボールたまってきたけど、処理するの来週でいいや。とか。

そんなふうに自分で「許せる状態」を自覚しておくこと。そうすることで、理想に触れつつも、ギャップに苦しまず、あくまで自分の生活においての「許せる状態」を目指せばよいと思える。結果、ストレスを感じすぎることもなく、肩の力を抜くことにも繋がります。

理想は理想。現実は現実。

きれいに整った部屋は生活を営んでいない状態なのだから、生活感が無くて当然です。すこし抽象的な言い方をすれば、「静止しているからキレイである」ということ。ただ、いつもの生活は「動的」であり、日々移り変わります。だからこそ、「生活感がある」わけです。なので、それらは違って当たり前なんですよね。

理想は理想。現実は現実、として捉えてみる。無理に自分の実生活を理想を重ねすぎないようにすることが重要なのかなと思います。

まとめ

というわけで、今回は「理想の暮らし」について考えてみました。日々の忙しい生活の中ですべてを完璧にできる人なんてそうそういないはずです。完璧にやろうと力むのではなく、自分にとっての許せる範囲、心地ちよさを見つけること。そうやって、自分なりの「生活感があるちょうどいい暮らし」を営んでいければいいのかなと思います。

それでは、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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